政元は、権力者自ら奇行に及ぶというのがおかしいですよね。
絵のタッチが違うと思いませんか? なんとこれ、最新の学説では、後から書き足されたのだそうです。
☮ 彼のことが大好きだったんでしょうね。 補足 たぶん東勝寺跡でしょうね。 pp-form-container form select,. 鎌倉幕府終焉の時は、鎌倉のいたるところで殺戮がおこり火の手が上がったらしいですよ。
それでは、上記2点が無い絵として想像して下さい。
強くないと領主として領地や被官(家臣)を守れないからです。
🤗 しかも有名な肖像画自体、別人の可能性も浮上中。 一寸先が闇の時代の先例として読んでもらえれば、面白いのではないでしょうか。
18戦国期の研究が盛んなのも同じ理由からです。
いわば「バサラ」的行動です。
「盾で自分の身を守りながら死んでいる元軍の兵士」がいるのがおわかりでしょうか。
楽勝だった!となると、あまり恩賞をもらえないかもしれない。
無くなってたとしたらリスかアライグマか野良猫でしょう。
史料からも彼らのそれが浮かび上がってきます。
武家が自分たちの肖像画を好んで描かせるようになったのは、鎌倉時代も後半のこと。
ここ10~20年の歴史小説は日本史研究の進化についていけていませんでしたが、ゆうきさんなど最近の漫画家は現地調査を重ねてよく研究されています。
元寇の事をザックリ説明すると、 時は鎌倉時代。
「応仁の乱」の著者の方も言っていましたが、今は先の見えない時代です。