🤪 同じものを見て同じように感じることのできたはずの2人の連帯は、ここにはもうない。 就活は絹が先に病院での勤務が決まり、麦は遅れてだが物流システム会社への就職が決まった。
15傍から見ると痛々しいが、どうせガラスを割るならば素手でぶん殴る方が美しい。
最近枯れてきている人は是非前半部分でエネルギーチャージをしてほしい。
👋 言ってしまえばそういう内容ですが、彼らが出会い求め合い、すれ違うその中に自分の思い出が重なるような映画でした。 もれず引っ越しまで完璧にね。 リアルであるからこそ刺さる。
彼が浮気を一度もしなかったのも、浮気が守るべき生活の危険分子だったからだろう。
もっと2人の時間があったら。
😩 考えれば考えるほど、調べれば調べるほどいろいろな見方ができる深い作品ですよね。 『花束みたいな恋をした』は考察できる箇所がたくさんあるので何周でも見ごたえがあります。 一見微笑ましいやりとりを繰り広げる彼らを見つめながら、麦と絹はそれぞれの恋人に対してイヤホンはLとRの両方で聴くことの重要性を説いていく。
じゃあ何が入っていると思います? それは虚ろな自己欺瞞でしかない。
馬鹿なの?妊娠も出産もしない当事者意識が欠如したからこその思考なの? てかセックスレスなのに、よく子どもを想像したな!でもいそう!こういう男いそう!とりあえず結婚しようマン! 結婚して形だけでも妻子を養って、なんか達成した気になりたいマン!これも、 凄く皮肉が効いているいい台詞だなぁ~~~と思います。
本作は本映画のテーマである「恋愛は、同じもの(LとR)を2つにわかちあってはいけないのだろうか」という仮設(結論)を最初に提示し、それを2人の過去を用いて検証している。
しかし本物とは何なのか。
☣ ファミレスで仕事をしている 明らかに経済的に裕福ではないエンジニアのおじさんは、もしかすると就職せず絵を描き続けていた場合の麦の未来かもしれない。
15(2人が最初に出会った時も絹は細かく回想してたのに、麦は「絵を褒められた」ことのみを回想しただけだった。
これは、監督が本作をみにきたルが上にフルで上がっている勿忘をLとR別々で聞くのかどうか試しているのだ。
男女の違いを細かいところで演出している) 対比することによって、当の本人たちが言葉であるいはもっと直接的に説明する描写がなくとも、2人が過去とは変わってしまったこと、そして、他人とはこうこう違うということを示している。
Lでギターが鳴ってる時、Rはドラムだけ聞こえてる。
😚 特に後者は、彼が男性であるがゆえにより強く、自身を規定する言葉にもなる。 忘れられなくてもいい、そのときの思いは未来の自分の幸せに繋がっているのかもしれないと。 。
18業界が驚いているのは、この大ヒットが、インディペンデントの制作会社が企画し、大手ではない配給会社によって達成されたという点だ。
そして絹ちゃん、当然ガッカリです。
👣 — ほなね爺 honane サブカル好きなどという共通点で意気投合したシーンがありますが、実際にここまで趣味が合う人に巡り合う機会は、無いですよね。
51人暮らしをしていた2人が同棲をするなら経済的余裕というメリットが発生するし、ストーリーも同棲移行に持っていきやすい。
同じ「好きなもの」によって形づくられてきたゆえに心地よく分かり合える存在を見つけられたときの高揚は、絹や麦と同じくらいの年頃に、多くの人が経験したことのある感覚だろう。